~人生はすべて自分で決める~

楽しいことを習慣化してすきなことやものに囲まれて暮らす日常を目指します!

親を介護施設へ預ける決定をくだしたときにわたしは泣いた

crying 

きっとわたしの母親は、わたしに施設にあずけられるなんて思ってもいなかっただろう。

それまでわたしとは友達親子だと一人で勘違いしていたはずだ。

なぜなら、わたしが気をつかって合わせてきたから・・・

 

でも、限界がきていた。

一緒にいるのは無理だ。他にも理由はあるけれど、どうしても母親とは暮らせない。

それは他の兄弟も同じだった。

 

はじまりは母親が病気で一時期入院していて寝たきり生活をしたため、家に帰っても自力ではしばらく歩けないから、誰か側についてくれないかって話になった。

父親がいるけど二人は仲悪いので母親が嫌がり、わたしに話がきた。

 

『これからどうしますか?5分だけ時間をあげます。今すぐに決めてください』 って病院から連絡受けた。

病院側もベットが足りなくて救急の患者さんを優先したいので、経過が順調だった母親は家にいくか施設に行くか、すぐに決めてほしいとのこと。

 

でも、

今すぐは決められなくて、一旦電話を切って兄弟に電話して相談してみた。

一言、おまえが決めていいよ・・・ これは正直一番きついと思ったけど、仕方ないよね。近くにいない人にはそういうしかないよね~

 

わかった。

 

決断しよう。

 

そしてわたしは一人、泣きたい感情を必死に抑えながら病院へ電話して施設入所決定の連絡をした。

 

電話を切ったときのあの感情。

今までしたことのない感情がこみあげてくる。

これで本当によかったのだろうか?

わたしの判断はよかったのか・・・

 

親を施設に入所する決定をわたしがするなんて、正直きつかった。

 

母親の方がはっきりわたしに頼っているのに、それを受け止めないなんて。

ひどいかもしれない。

だけど、それ以上に自分の正直な気持ちの方が大事だとわかっていたから、わたしはゆっくり自分の気持ちと向き合った。

 

わたしはどうしたい?

一緒にはやっぱり暮らせない。

だけど、母親は大丈夫だ、必ず歩けるから。信じよう。

だってわたしの母親だから。

 

これでわたしは自分の気持ちとちゃんと向き合って納得したのだ。

 

それから、しばらくは母親からの甘えがすごくあったけど、段々落ち着いてきた。

そして奇跡がおきたのだ。

歩いてる・・・

普通に歩きだしている。

なんてことだろう~  医者には二度と歩けない、歩けても車椅子って言われたのに。

 

わたしの願いが叶った。

 

すごくうれしかった。

 

今では普通に歩いている。

 

だけど、本人はやっぱりみんなにかまってほしいらしく、歩けないふりをしている。

時もある。(笑)

 

これはたまたまかもしれない。

決してわたしが願ったからよくなったとか、単純なことでもない。

 

本人には最初からその力があったのに、本人も気づいていないだけ。

 

こんなこともあるのだということを、そのときに学んだ。

 

なぜ最初から無理だろう、とかできない、とかわからないことを決めつけるのだろう。

 

多分、人間のことは一番わからない。

 

だからこそ、不可能を可能にする希望があるのだろう。