母親のことを人に話すときは考えます。
相手に話してわかるか理解できるのか。
もちろん母親のことをわかってる人は理解するけど、細かく細かく説明しないと伝わらない場合は、わたしが諦めることのほうが多い。
うちの母親は、多分精神的に自立できていない。今でも。
だからこそ、わたしや兄弟に時々すがりつく。
でも、共依存になるわけにもいかない。こっちが自立してるからといって、一緒にいられるのか?というとまた違う。
親子だからこそ引きずり込まれる。相手からの一方的な態度が、我慢の限界を超えるから。
母親が精神的に自立できてないことを全く知らない人は、なぜ一緒に住まないのかなとか、なぜ離れるのかなと思われるだろう。
でも逆に同じような親をもつ人からはすぐに共感を得られる。
共感者がいるだけでもものすごく救われる。
なぜなら、ずっと親なのにきちんと見てあげられない、という罪悪感に悩まされてきたから。
今ではそんなことはないけど、ここはできない。とはっきりできないことはできない。と示すだけで、逆に母親の自立を促すきっかけになるだろう。と思っている。
どこかできちんと諦めさせることが大事なのではないかと。
そんなことを理解できないであろう人に、いくら説明してもわかってはもらえないだろう。
例えば真逆な親をもつ人。
よく話を聞いてくれて、ものすごい理解を示してくれるような一般的な親をもつ人には、なかなか理解できないらしい。
そんな親がいるのかと思っているくらいだから。
世の中にはそんな人もいるんだよ。(*^-^*)