ここ数年、精神疾患の親を持つ子供たちの声が表に出てきました。
その記事などを見て、「わたしにもそんな過去があったな~」と思い出したのです。
当時は全く誰にも理解されず、そのうち言っても無駄だと思うようになりました。
正直、最近までちゃんと話したこともなかった。
母親の施設入所がきっかけで、職員さんや市役所の方たちと出会い、ようやく理解してくれる人たちと巡り合えた。と言う感じです。
ずっと言っても無駄だと思い込んでいたけれど、言う相手を間違えていた。そこに気づくのが早ければ、もっと若い時にあんなに泣かなくてもよかったはず。
わたしの母親は、わたしが小学校高学年から中学にかけてが多分、一番症状がひどかった気がします。症状と言うかほぼ布団から出てないような生活。もちろん、外にも出られないし、異常なほど人の目を気にする。そこは性格なのでしょう。なので、朝は自分で制服にアイロンをかけて、適当な朝ご飯を食べる。とは言ってもお茶漬けがメインです。
毎日一人でお茶漬け食べる。
一人さみしく朝ご飯を食べることが嫌なわたしに対して、ちょうど家から出ていくタイミングを見計らっていつも外にでてきて大きな声で「いってらっしゃーい」を言われる。
外に出てくることができるならば、お願いだから朝ご飯だけ用意してほしい・・・
何度も何度も言いましたよ。いってらっしゃいはいらないから、せめてご飯。って。
今考えれば外に出ることで誰かに手を振っている自分、を見てほしかったのでしょう。
夜ごはんもいつも同じ食事。
市販のパスタに、缶詰のスパゲッティソース。
冷凍ハンバーグ。
一週間便秘になっても自分で気づけなくて、ある日母親になにげに聞かれて、そういえばずっと出てない・・・
それからはずっと野菜炒め、お好み焼き。
ときどき急に感情的になる母親に、すごく戸惑う。
急に怒り出す。
早めに家を出たかったわたしは、早めに結婚しました。
わたしが子供を産んだときは、少し症状がよかったと思います。孫ができたことで意識が自分自身から一瞬、孫にいったから。
でも、もちろんすぐに戻ります。
子供を産んだわたしに、今度は思いっきり甘えてくるようになりました。
ずっと母親の愚痴を聞かされる。
同じ母親同士になったから気持ちをわかってもらえる。と思ったのでしょう。
わざと父親との仲の悪さを見せられる。
この時期からずっと、何十年と愚痴を聞かされることが続きます。
わたしが離れた場所へ引っ越ししたことがきっかけで、少し楽になることができました。電話では相変わらず何時間と愚痴ですが。直接来られるよりはマシになりました。
ただ、離れたことで客観的に見ることができるようになります。
なぜ、わたしは無理して母親のために我慢しなければいけないのだろうか。
出産直後からすぐに愚痴を言うような人。
眠くても寝ないで聞いて。と言う人。
車で片道1時間半かかるところ、今すぐ来て。と言う人。
ずっと、親だから・・・と思っていました。やらなければいけないと。
よくわからない責任感。
母親はかわいそうだと思っていました。ずっと愚痴を聞かされると、同情しちゃうんでしょうね。
客観的に見れたことで、目が覚める。
本当に母親は不幸なのだろうか。
わたしに不幸な姿しか見せないから勝手にわたしが思っているだけで、ずっと不幸なはずはない。
そのことに気づいてからは、ふっと力が抜けた気がします。
わたしがなんとかしなければいけない。なんてことはない。
そこからは、できないことは無理。
はっきり言ってあげることも必要だと知りました。
大切なのはまわりの協力です。
母親の姉にも事情を言って、わたしの味方になってもらいました。
こうして、ちゃんとわたしが「苦しんでいる」と言うことをはっきり伝えることで、ようやく本人に伝わります。
完全ではありません。
今でも、しょちゅう施設を通して連絡はあります。でも、施設にいて一人ぼっちではないため、わたしに向かう意識も薄い気がします。
若い頃は、普通に母親に甘えたかったし、母親に相談できてる友人たちが羨ましかった。寝込んでた頃の母親は辛いだろう。と思って腰を揉んであげたりした。普通の会話がしたかった。
自分の聞いてほしい話よりも、母親の言いたいことだけを聞いていたためか、ずっと自分の意見や気持ちを人に伝える。と言うことが本当に難しくて、誤解をされたことはしょっちゅうです。
でも、諦めずに人に頼る。
ちゃんと伝わらなくていいから、とにかく吐き出す。
結局、言わなければ誰にも伝わらないし、逆に言わないから大丈夫なんだろう。と誤解をされる。
親だからって我慢してまで関わる必要はない。
無理なものは『無理ー』と言いましょう。