~人生はすべて自分で決める~

楽しいことを習慣化してすきなことやものに囲まれて暮らす日常を目指します!

母親と合わない離れたいけどいざいなくなったら淋しくなる、ことくらい知っている・・・

Desert  

 

 

親はいつか、必ずわたしの前からいなくなる・・・。

 

 

例え、合わなくて離れて暮らしていたとしても、いつかいなくなるのならなるべく愚痴も聞いてあげよう。合わせられるところは合わせよう。

だっていつか永遠に離れるときはくるのだから・・・。

 

 

こんなことを今までに何度、想像していたのだろう。

 

 

 

数年前・・・

 

これは大人になってからの話だけど、いい歳したわたしを大勢の人の前でも平気で、しかも大声で名前で叫ぶ母親が嫌で嫌で仕方なかった。スーパーへ一緒に買い物に行く度に、遠くから名前を叫んでいる。何度も何度もやめるように言ったし、「お願いだから、はずかしいからやめてくれない?」というわたしに向かって言う母の言葉は、いつも同じ「いいでしょ~(笑)」悪びれた感じもなく笑っていた。

 

確かに今となればどうでもいい話かもしれないし、実際に母親と離れて暮らすようになったら、そんなことは日常の忙しさですっかり忘れてしまっていた。ただ、時々同じような母親みたいなタイプの人を見かけると、あの時の情景を思い出していたのだ。

 

あの時のわたしにとっては、ものすごく苦痛でしかなかった出来事に変わりはない。しかも何度も何度もやめるようにお願いしたにも関わらずやめてくれることはなかった。

 

 

それから何年もたって、だいぶ久しぶりに母親の洋服を一緒に買いに行くことになった。理由はわたしが買った服がなかなか気に入ってもらえなかったからだ。一緒にいけば母親の気に入ったものを買えばいい。そう思って車のない母親を買い物へと連れて行ったのだ。「○○ちゃ~ん!」Σ(・□・;)

 

忘れかけていた出来事がその瞬間、鮮明に思い出される・・・

「忘れてた・・・」完全に忘れてた。

そうだった。この人はそんな人だった。

年をとったから変わる、なんてないのだ。

 

思い出したわたしは、周囲の目線をなるべく見ないように早々とレジへ直行。だけど、人気のあるショップに連れてきてしまったことを、後悔せずにはいられなかった。まわりは若い子や女性客で溢れている。「しまった・・・。」なんとも言えない視線を浴びながら、「もう帰ろうよ~」叫んでる母親を急いで連れて帰る。

 

さすがにこの時のわたしは、その前に比べるとだいぶ大人になっていたので、身近な人たちに〝笑いのネタ〟としてそのときのことを話していた。そして、みんな笑っていた。その中の一人は同じことを義理の母親にされた、と言っていたが、がっつり身内だからこその恥ずかしさなのだ。しかも実の母親・・・もちろん、娘として全く気にしない人もたくさんいることくらいわかっている。が、わたしはそのとき本当に嫌で嫌でたまらなかった。ただそれだけだ。

 

ここまで話を聞いたひとは、母親はものすごく大雑把なイメージかもしれないが、その逆で気の小さい人なのだ。気が小さいからこそ、わざわざ自分を大きく見せようとするところがあった。そんな母親をいつも疑問に思っていた。なぜ、わざわざ大きく見せようとするのだろう~。

 

もう一つ、これは今でも続いているけど、施設に会いにいく度に施設で会う人、すれ違う人たち全員に「娘~娘~だよ~。」「娘がきている。」必ずいいまくる。これだけ聞くと、「ああ~娘さんきたから自慢したいんでしょ、嬉しいんでしょ」と思われる。

 

昔からかなりの見栄っ張りで基本的に人の目を気にしてる人だから、誰も施設に会いに来ないことはきっとさみしいと思われる、と勝手に思っているのだろう。だからこそ、たくさん人がいる時にわたしにきてほしいとリクエストしてくる。みんなに家族がいることの〝アピール〟がしたいのだ。別にそれは構わない。ただ・・・ 昔から周囲の人間に助けをもとめて電話しておきながら、娘と仲良しとか嘘を言ってしまい誤解されたままでいたこと。あとから母親の姉妹との話の中でわたしとの関係性を違った形で言ってたことを聞いて驚いた。

 

『わたしと母親はものすごい仲良しだ・・・』と、

 

確かに一緒に出掛けてたこともあった。が、仲がいいなんて一方的にすぎない。なぜなら、いつもわたしが言いなりになっていただけだったからだ。

 

母親の姉妹が娘と旅行へ行った話をした後には、わたしに遠回しに言ってきた。だが、旅行ってずっと一緒にいなければならない。無理だろう。その間ずっと話を聞いていないといけないのだ。しかもほとんど愚痴。旅行のことを羨ましくおもい、見栄を張って自分も娘とはよくでかけるんだ~っと言っていたのだろう。

 

母親が素直に気持ちを言えない人で、人の目を異常に気にする、人から言われたことを気にしている姿を、小さい頃から無意識に見ていた。だからわたしは、「なぜ?なぜそうするの?なぜこうなるの?」と、疑問をもち、分析するくせがついてしまったのだろう。おかげで根本的なことに気づくことができた。普通に何不自由なく親子関係が良好だったなら、こうして分析したり、大切なことに気づくこともなかったのだろう~とつくづく感じる。

 

理想は真逆の母親だった。なんでも教えてくれる、知識のある母親がよかったな~って昔はよく思っていた。感情の起伏が激しいことなく、言うことがころころ変わる、なんてこともなく、いつも穏やかで落ち着いている人。そんな人が母親だったらいいな~なんて失礼なことを思ってしまった。

 

けど、やっぱり今の根本的な考え方ができるのは、母親のおかげだ。と思うことで納得した。もちろん母親だって同じように育てられたのだ。聞いた話ではだいたい同じ感じだった。「じゃあなんで同じことをするのか?」と、何度も問いただした。がそこを直そうという気持ちは全くないらしい。わたしのように疑問に思わなかったということだ。

 

それもそのはず。母親は二十歳くらいの時から離れて暮らしてるから、そこまで一緒にいなかったのだ。それでいい思い出として残ってる。そうか、わたしもそれくらいからずっと離れてたなら、また違った感情になったのだろう。

 

とりあえず、客観視してみることができるわたしはまだいいのだ。悪い思い出ばかりでもない。小さい頃は楽しい思い出だってたくさんある。そう、わたしをまだ子供だと認識してくれてたころまでは関係性もよかったはずだ。

 

これまで何度、〝いなくなったら〟という想像をしただろう~ こんな関係性でも例えば、いなくなったと想像したらわたしはやっぱり悲しむだろう~ だからこそ、愚痴も聞くし、今しかできないこともやろうと思えた。こんなことを何度も何度も想像したのだ。そして、言うことをなるべく聞くように努力した。

 

普通はきっとこんなに想像なんてしないのに、わたしは普通以上にやらなくてもいいはずの想像を繰り返した。そのため、いらない免疫ができてしまった・・・

 

 

知っている。多分、いやきっと、母親がこの世からいなくなったらわたしは取り乱しているだろう・・・

 

いい思い出だけを思い出しているだろう・・・

 

そして、崩れ落ちて、いつまでも号泣している・・・

 

 

今これを書きながらも想像して、泣きそうになる。

 

こんなこと、何度くりかえしたことか・・・

 

わかっている。

 

それでも、わたしは一緒にはいられないと決めたのだ。

 

 

全部わかったうえでの決断だったのだ・・・。

 

 

 生んでくれて本当にありがとう。

 

 

感謝しかないのが本音だ・・・。