~人生はすべて自分で決める~

楽しいことを習慣化してすきなことやものに囲まれて暮らす日常を目指します!

父親が「がん」だと告知されても意外と冷静に受け止められたわたし

 

きっと本人はもっとずっと前から、体の異変を感じていたのだろう。

 

 

もともとよっぽどのことがない限り、病院へは行かない。

 

 

大腿骨骨折で手術をしてから、家の中だけの生活になった。その時から余計に病院へは頑なに行きたがらない。三ヶ月の入院生活で懲りたのだろう。

 

 

退院後の予約も頑なに嫌がり、介護サービスの更新手続きのときも、みんなで一度だけ病院へ行こう、と何度も何度も誘ったがダメだった。

 

 

それにしても、そこまで嫌がるのもおかしい。

 

 

ケアマネさんから聞いた話では、「娘に迷惑をかける。仕事を休ませるのも申し訳ない。」と言ってたらしい。でも、その後もわたしが無理矢理誘っても行かなかった。

 

 

そのときから、この人は「本当にやばい」と思わない限り、病院へは行かないだろう。とわたしは確信した。

 

 

それからすぐ、声がおかしくなった。

 

 

何かが引っかかった感じがする。

 

 

最初は痰が出せないのかな。くらいな感じに思ったけど、本人は違うと言う。ただ、違和感がある。

 

 

きっと、目に見えない違和感との恐怖を、一人で感じていたのだろう。

 

 

一人暮らしの家の中で、何をどう思って過ごしていたのかは、いつも気になっていた。

 

 

体の異変には気づきながらも、今までずっと病気などでは病院のお世話にならなかったため、大丈夫だろう。と思い込んでいたのかもしれない。

 

 

わたしもずっと気になって仕方がなかった。

 

 

まだ、ご飯が食べられている間は、大丈夫かなと思っていた。

 

 

とうとう、ご飯が食べられなくなるほど寝込んでしまった。3日間ご飯を食べた様子がない。

 

 

4日目の朝、寝ていた父親を起こして、「病院へ行こう」と言うと、「今?」と返答。そしてすぐに「うん。きついよ」って・・・

 

 

ここまで苦しくならないときっと、病院へは行かないだろう。と思ってはいたけれど、もしもここまできても行かないと言われたら、救急車を呼ぼうと考えていた。

 

 

父親はすぐに行く準備もするし、とても素直。

 

 

それよりも、さすがに少し不安そう。

 

 

骨折で三ヶ月入院したときに、少し体に気になる部分があると、お医者さんに言われていた。そのとき本人から「何があってもそれは天命だから治療なんてしない」と言っていました。と聞かされ、年も年だから、そんなこと言ったのだろうと思っていた。

 

 

父親は人生に満足してるから、天命と思えてる。

わたしも見習おう、って思った。

 

 

でも、本当にそのときがきて現実を突きつけられたら、やっぱりショックを受ける。

 

 

人はきっといくつになっても、「もう長くない」と言うことが、受け止められないのだろう。

 

 

「天命」と言う言葉を使っていた人が「がん」だとはっきり言われて、目に涙を浮かべている。

 

 

強がっていたのか・・・

 

本当は怖かったんだよね。誰にも言えないもんね。

 

 

すぐに入院が決まり、検査して待っている間、もう声があまり出せなくなっている父親と少しゆっくりできた。

 

 

「どう?手術こわい?」と聞くと「こわいよ」と言った。

わたしは、「ここは先生もいっぱいいるから、大丈夫だよ」とだけ言った。

 

 

ただ、何度も「がんだよ」と伝えても、納得はしてない。がんだと思いたくない方が強いのか、腰の方が痛くてきついと言う。

 

 

まさか自分ががん。受け入れる方が難しい。

 

 

ただ話はまだ続いている。

 

 

咽頭がんなので、全身麻酔をしないと手術ができない。年齢的に全身麻酔は難しいと医者に言われた。それよりも先に、呼吸の確保からしないと息ができなくなるから、その手術をすぐにやってもらった。

 

 

この時期だから、側に付いてあげることもできない。

 

 

きっと心細いと思う。

 

 

まだまだ病気との闘いはこれからだから、体力との勝負になるだろう。

母親のときもそうだったけど、今回も信じようと思う。

わたしの親だから、大丈夫。

 

 

最後まであきらめない。

 

 

わたしのこの諦めの悪さ(いい意味で)は、両親ゆずりだと思っている。

 

 

人生、最後まで何があってもどんな状況でも、頑なに生き延びる。

 

 

頑なに。。。