結論から言うと、「依存」。
これはあくまでも、わたしの過去を振り返り今おもうこと。
精神的な自立って、わたしのように親から口出し多めにされて育つ環境の中では、なかなか難しいです。
何か困ったことがあれば、誰かが助けてくれる。とか、どうにかなる。なんて無責任になってしまう。
そこを、時間をかけて自分の力でどうにかしよう。と色々考えて行動するんです。
ここで誤解されると困るんだけど、どうにかしようとしても、一人ではどうにもできないこともたくさんありますよね。そこは、人の力を借ります。
最初から人に頼るのと、どうにもできなくて人に頼るのは全然違いますよね。
ただ、何かある度に誰かに「話を聞いてほしい」「共感されたい」「同感してほしい」と思っている間は、全く自立はできてなかった。
ひどい時には、話をしても相手から反対の意見を言われると、この人とは話したくない。なんて思ってた。ただのわがままですね。(^▽^;)
でも、これを今でもやってる同年代の方たちがいるから深刻です。
「精神的な自立」を意識せずに年だけとると、意見の出し合いなんてできません。
自分の意見を上から目線で言って押し付ける。
意見って出し合うもので、決して押し付け、ではありませんよね。
それは、ただ自分だけの考えを、人に無理やり伝えているだけ。
自分勝手な人は、相手のこと考えずに一方的に話をする。
否定から入るときもあって、話どころではありません。
自立されている方は、きちんと人の話しを聞けます。肯定されてから、意見を言ってくれるので、安心感しかありません。落ち着きますよね。
わたしもずっと、そんな人になりたかった。
だいぶ遠回りして、だいぶ時間かかったけど、過去に比べればだいぶマシにはなったかな。と思います。
何かある度に、誰かに聞いてもらいたくなる気持ち、ものすごくわかります。
でも、聞いてくれてる方の気持ちも考えないと、一方通行ですよね。
悩んだり、決断しないといけない時は、誰かに背中を押してほしくなったりします。
今のわたしは、誰にも言いませんね。事後報告です。自分がやることに関しては、まず誰かに相談する必要がない。もちろん、誰かを巻き込まなければいけない場合などは別です。
問題解決の方法がわかり、日常的に当たり前になると、自分である程度の問題を解決できるようになるため、誰かに相談する必要がなくなります。
そのため、誰かに話しを聞いてもらいたくなることも、ない。
ただ、世の中には、話を聞いてほしい状況なのに、簡単に人を誘えなかったり、言えなかったりする人もいます。
そこは、聞いてくれる人がいるのなら、言った方がいいですよね。
その場しのぎでも、次に繋がるのなら、ただ聞いてくれる人がいる、っていう拠り所を当たり前だと思わずに、感謝したい。(*^-^*)