元々、「なぜこうなるのだろう?」
「なぜそう言ったのだろうか?」
などと、根本的な部分を考えることがよくあるのですが、テレビを見ていて芸能人のかたがコメントしてるのを見てると、聞かれたことに対してすぐ答えられている。例え、前もって話す内容を知っていたとしても、これって、「今、わたしにはできていないことだ。」と改めて思った。
インプットばかりやってて、アウトプットの量が少なすぎる。
本屋さんで働いていたこともあり、本を読むことは大好きだけど、人にその本の内容を細かく説明できるのか? と問われるときっとできない。
なぜなら、読んだだけでいつも満足してるから。
本の内容だけではない。普段、思ったことを人に話したり、テレビの感想を言ったり、口に出すことが圧倒的に少ない時がある。波があるのだ。
これは意識的にやると出来るけど、気を抜くとすぐにアウトプットすることを忘れている。
ずっと、「どうしたら日常化できるのだろうか?」と考えていた。
今、ブログをやっているから一応、アウトプットの一つということでこれでアウトプットの量を増やすことができている、と思っている。
だけど、もちろんこれだけでは少なかった。
本を読んだら読みながらでもいいから、ノートに内容を書き出してみよう。
書くこともアウトプットの一つになるということだから、それなら読みながらノートに書いてみることにした。これが結構ハマってしまった。(*´▽`*)
内容だけだと自分の考えがないので、読みながら感想も書きます。
そうすると、書くことで覚えて内容を人に話すことができる。
それと同じようなことを普段、興味がなくて覚えなかったことを調べたり、人と会ったときようにストックする。と言うことをやっている。
元々、根本的なことを調べたり追及することは大好きだった。けど、自己満足で終わっていた。ここで終わらせずに、誰かのために、とか人に話す、ということが足りなかった。
せっかく根本的なことなどを追及しても、誰かの役に立たなければそこで終わってしまう。
頭を使う楽しみとは誰かの役に立ったと感じた時だった。
どんなにブログ書いても、どんなに本読んで感想書いても、全部自己満足ならその先がない。
他者とコミュニケーションがとれたときがやっぱり楽しい。
そんなことを改めて感じている。
例えば、誰かと会うときあらかじめその時の様子を想像して、会話の流れなども想像して、どうしたら楽しく穏やかに過ごせるのだろうかって予想して会ったときは、ほぼほぼ楽しい時間になっている。
もちろん、そのときは会う人に合う会話の内容を用意する。
今までできていなかったこと。誰かに会うときここまで想像して会話の流れを考えてはいなかったということ。
そのためには、少しでもすきだと思えることや、関心がもてることをとことん追求してみる。
そして、感想や感心したことを話すように心がける。
今、わたしは毎日色々なことを考えている。「この人と仲良くなるためには次、会った時に何を話そう」、とか「流行やトレンドがテレビで発信されても本当にそうかな?」
とか。
自分の頭で考えることが楽しくなると、本質がわかるから楽しい。
流されることもなく、常に自分の考えがあって、決して頑固というわけではなく、柔軟性もある。
これも常に考えて思っていたことだけど、自分の考えがあるというと、自分の考えだけがあると勘違いされてしまうこともある。
そうではなく、広い世界の中で、わたしの考えなんて小さい考えにしかすぎない。頑なに正しい、と訴えるとかじゃなく、〝わたしはこう思う〝 ということ。
自分の頭で考えるということは、人生を楽しく生きていくための基本中の基本。
自分の頭で考えたことは、誰かと共用したことでもないし、だからこそ流されてることもない。
人の考えに便乗してる人もいるけれど、その人の人生楽しくなさそうだなって思う。人が考えたことに乗っかるって、改めて自分がない人だなって思った。
そして、楽。考えるって楽しいと思えるまでいかなければ、人によっては苦痛でしかないだろう。結構神経使うし、もしかしたら頭痛くなるかもしれない。
でも、人間にしかできないこと。
せっかく人間として生まれて、いつか自分の人生に終わりがくるなら、思う存分頭を使ってみたい。