ずっとコロナ禍で病室へは入れない。
リモートはできる、と言われても呼吸器の手術をしている父は、声が出ない。
正直、リモートをしたときに、一方的にしゃべるのもきついものだと感じた。
やっぱり話せなくても、直接会って顔を近くで見る方がお互いいいのでは。
と思ってしまう。
半年以上の入院の中で実際に会えたのはたった一度だけ。
ようやく家族とも会える、とゆるくなったのは緩和病棟へ移動したため。
県外から急遽兄も一時帰省。
母も施設から外出許可。
やっと家族が揃って面会。
父は変わり果て過ぎていた。
兄も母もびっくりしただろう。
腫瘍の大きさもだいぶ大きい。電話で説明は受けていたけれど、想像を超えていた。
苦しそうに見えるけれど、手を挙げて返事をしてくれる。心配させないようにしてくれてるのか、もう力もあまりないはずなのに、何度も両手を挙げてくれる。
痛くて頷くことも困難なのに、母が話かけるから頷いてくれる。
段々目を閉じて眠そうにしているから、きっときついのだろうと思い、話しかけることもできない。
母も「帰ろう」「もういいから」と帰りたがる。
見ているのが辛すぎると。
でも、もしかしたらこれが最後になるのかもしれない。
看護師さんの気遣いで、写真を撮ってもらえることになった。
しばらく写真なんて撮ったこともなかったから、いい記念になった。
わたしはずっと父と一緒にいられたから、素直にこの現実を受け止めることはできている。と今は思っている。
でも、普通に生活しながらも、わたしがもっと強く病院へ誘って連れて行けば、もっと長く生きられたのでは。とか、過ぎた時間を後悔しても、戻れないことはわかっている。
でも、時々その「後悔」が出て来ては、「仕方がない」と頑張って割り切る。そうしないと、普段の生活ができない。
今もこの時間もずっと、いつ急に病院から電話がかかってくるのかを気にしながら過ごしている。