どうでもいい相手には、人は無関心。なので、自分の想いをぶつけるなんて、相当強い関心でもない限りやらない。
ただ、それをぶつけ合っている間は、お互いその強さをあまり感じていないだろう。
わたしの父方家族は、ものすごく繋がりを大事にする。なので、その繋がりから外れることは許されない。だから喧嘩もする。小さい頃は見てて嫌な印象しかなかった。
でも、自分が年を取り、親もその親族も人数が減っていき、今残ったものは、
「つながり」。
確かにあり得ないくらいの大喧嘩をして、まわりを巻き込んで散々だと思った。けれど、今となればわたしがその人たちの集合写真で泣かされている。
それが答えだ。
「関心をもつこと」。
「気にかけること」。
近い関係性だったからこそ、喧嘩もできた。そこまでしなくても、わたしはわたしが好きな人たちに対してどれだけの関心がもてて、どこまで気に掛けることができるのか。
これからの人生、それが課題。
親族の集合写真を見て泣けた。
これはわたし自身がびっくりしたと同時に、今だからこそ泣けたんだろうと実感。
わたしの記憶には、本当に仲が悪くて最悪な印象しかなかった人たち。
でも、こうして集合写真を撮るってことは、本当に仲良かったんだと思う。
一つ残念なのは、子供たちにいい影響は残してない。
大事なのは、子や孫たちの代も仲良くできるように繋げること。
そこは今後の課題。
家族だけでなく、友達やその他の人。
わたしが少しでも関心を寄せられる人。
その人はわたしが好きな人間性だということ。
そんな人たちに、これから先「関心」を持ち続けたい。